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【2014.04.27:rhivs ZERO LAST GIGS〜"Bye-Bye Bokura no Aishita minaoihorie ZERO"】

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写真: 【2014.04.27:rhivs ZERO LAST GIGS〜"Bye-Bye Bokura no Aishita minaoihorie ZERO"】

写真: 【ZERO LAST GIGS〜"Bye-Bye Bokura no Aishita minamihorie ZERO"】 写真: 【04.20 rhivs-alive〜Chain Chemical Reaction@北堀江Club Vision】

そう。
終わり無きもの等何ひとつ無い。

稚き砌より繰り返した
僕のほんの少しだけ
険しき"道のり"は、
死と別れを『再生』し
此の言の葉に幾度も
痛みと共に重みを重ねて来た。

だからこそ今の僕が
持てるチカラもある事が
拙い筆運びながら
伝わると良いのだが。


2014.04末日。
あるライヴハウスが終焉を迎える。

其のライヴハウスは
非常に小気味良く鳴りの良い
カホンの如き床を持っていた。

僕は楽器をやらないが、
自然に刻む足先のリズムひとつで
自らが楽器の奏者であるかの様に感じ
演者達が舞台で繰り広げる
『物語』と同じリズムを取る事で
彼等と同じ『世界』へと容易に融け込み
同調する事が出来る貴重なハコで。

勿論、暖かいスタッフの皆様や
店長やオーナーの人柄も
魅力のひとつであろうが、

何時だって僕の在りの儘で
弾む心に従う素敵な
誰にでも奏でる事の出来る
唯一とも言える温もりの"楽器"持つ
このライヴハウスが好きだった。


ライヴハウスというものに
通い始めてもう何年になるだろうか…
僕自身もはっきりしない記憶なのだが、
実は幾度となく僕は複雑な想いで
其の流星の瞬きを、消え逝く様を、
一閃の"光芒"を見てきた。

然し、終わりというものは
総てが完全に"終わる"訳では無い。


勿論、よく誰もが口にする
『〜は今も心の中で生き続けている』
なんて感傷的で安っぽい台詞を
僕の"紡ぎ手"のプライドに賭け
一切吐くつもりは無い。
僕は受動的で安直なる
此の言の葉が嫌いだ。

何故なら此の言の葉は
ある側面から"昇華"された
"結末"だけを記し、
潜む経緯の中にある
大切な"真意"を語ってはいない。


さて、形在るもの無きもの拘わらず
『死』とは万物総てに訪れ
"人"とは忘却の生き物である。

此の言の葉を"額面通り"に
受け取め『そんなものだ』と
納得してしまえば
何れは日々に埋もれ
簡単に記憶からあっさりと消え逝く。

だからこそ間違えてはいけない。

過去とは"生きる"ものでは無く
手前で"生かす"もの。

此の認識の差の有無はとてつも無く大きい。

僕にとってあの台詞は
耳触り良き言の葉ばかりを集め
眺め自らを慰めるだけで、
本質を探り、自らを以て
思索を繰り返し
見極めようとしないのと同じであり
其れでは言の葉に込められた
"真意"のエネルギーを
『殺す』のと同義だ。


さて、此の話をした上で
漸く本題に移る。

果たして『ライヴハウスZERO』とは
"場所"そのものを指す言葉なのだろうか?

否、僕にとっては
建物はあくまでも『象徴』…

僕にとって『ZERO』とは
舞台の上で繰り広げられた
紡ぎ手達の証の記憶
ひとつひとつであり

彼等が見据え"今"を築く
証のひとつひとつであり

ZEROに集った紡ぎ手達の、
オーディエンス達の
過去現在未来総てに
繋がる時間そのもの…

曰わばそれぞれがあの場所で
魅せた"輝きで"あり
"スピリッツ"そのものだと
僕は思っている。

自らの依って立つものを以て
ZEROを"生かす"為の証を
今後訪れるであろう刹那に
自らの一部として立て続け、
そうやって初めて
『ライヴハウスZEROは今も
心の中で生き続けている』と
言える時が来る。

勿論、僕は偏屈だから(笑)
きっと偉そうに
『心の中で生かし続ける』と
言い換えるだろうが(笑)


…こうやって僕が描くと
何だかとても難しい事を
やり遂げなければならない様に
思えるだろうが(苦笑)
実はとても簡単な事で。

例えば僕は此れからも沢山の
ライヴハウスに通うだろうし、
其の度に幾つものフロアを
踏み鳴らすであろうが、

其の度にあの小気味良い
木の床が奏でし音を
思い出すだろうし、
頭の中で変換し
再生していく事だろう。
今までやってきた事を
もっと鮮明に繰り返すだけだ。

『終わり』とは自らの"21g"が
潰えた時のみ訪れる。


僕が数多くの死を以て
心に刻みつけたもの。

それは、"総て"が
繋がる時間の"先"に
あるものであり
今、憂う可き時では無いと言う事。

勿論、思い入れ在るものを
喪う哀しみは
僕の中にも確かに存在する。
どちらかというと其れについては
かなり敏感な方だろう。

然し今、此処で其れを語るつもりは無い。

僕は"生かす"為に感傷ではなく
筆をとったエゴイズムの塊で、
時の砂はこの瞬間にも
刻一刻と大海を広げて往く。

"建物"と共に留まり
忘却の砂に埋もれる訳には
いかないのだ。


これは余談ではあるが、
僕は『過去』を浚い記し、証す。
恐らく沢山の方に
誤解されているであろうが(苦笑)
僕が『過去』を描くのは
決してセンチメンタリズムな感傷からでは無い。

僕が記すのは別れを経た上で
"血肉"として繋がれた
紡ぎ出す"今の僕"
そのものなのだ。

理解出来ぬ者、反感を憶える者も
中にはいるだろう。
否、若しかすれば
此の言の葉の真意を
理解出来る方の方が
少ないのかも知れない。

人には人のそれぞれが積み重ねた
生き様の重みというものがあり、
其れをきっちり証せる程
僕は未だ生き抜けていない。

だからこそ僕は他の誰でもない
自身が撰び歩んだ路を
繰り返し証すだけなのである。


南堀江ZERO…
多くのバンドマン、
そしてオーディエンスが
愛したライヴハウス。

勿論、rhivsにとっては"Home"であり
特にPIRO氏やJunpei氏にとっては
実生活面に於いても
掛け替えのない存在だろう。

今後の活動や展開にも
大きく影響はするだろうが、
今、rhivsは能動的に動く可き"機"だと
僕自身も感じている位だから
恐らく当人達は既に強く意識し
行動に移している事は
言うまでも無いだろう。

是非とも歩みを留める事無く
ブチ上げて貰いたい(笑)

彼等自身が既に
『ZERO』そのものなのだから。


今宵。2014.04.27

『"あの"ライヴハウス』という
人々の記憶から消え去る事無き証を
自らの今を以て、音の葉を以て
どうか立てて頂きたい。

此の『愛す可きライヴハウス』と言う言葉を、
如何に大切な存在であるかを、
証すのはそれぞれのバンド、
各紡ぎ手達の
"此れから"に掛かっている。


各バンドマン、
奮起せよ。

オーディエンスよ
フロアを踏み鳴らせ。

ラストライヴも、そして
其の"先"も。


『二度目の死』を与えるな。


そしてもうひとつ。

僕は湿っぽいrockはゴメンだ(笑)

【2014.04.27:rhivs ZERO LAST GIGS〜"Bye-Bye Bokura no Aishita minaoihorie ZERO"】 http://twitter.com/myproud_0117

タグ: column rhivs

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