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写真: 120302白梅2(文京区春日)

護国寺なう。 http://twitter.com/oftheRoundTable



mixiアルバム「護国寺(大塚5丁目)/仁王像(金剛力士)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000054056516&owner_id=32815602
2012年03月21日 11:35

11.04.28.
●神齢山悉地院護国寺――
じんれいざん しっちいん ごこくじ。
真言宗豊山派。
本尊、桂昌院念持仏の天然琥珀観世音菩薩。秘仏。
前立として、平安期彫刻の如意輪観世音菩薩が須彌壇に安置されている。。
(国の指定名称は如意輪観音。如意輪観音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれる。)
(菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つ。六観音の一尊。)
創建、天和(1681)元年。
開基、桂昌院。
開山、亮賢。

明治天皇の皇子(稚瑞照彦尊)の薨去を機に、護国寺境内の東半分は皇族墓地となっている。

三条実美、大隈重信、山縣有朋、大山倍達など。
失礼だが、こちらは墓参を行っていない………ε=ε=ε=ε=ε=( `)


●冨士道――
音羽富士は、江戸名所図会を見る限り、本堂からかなり西にあったと思われる。
1857年の音羽地図には描かれていない。
仁王門を入った突き当たりの石段から右手に、台地の末端の傾斜を利用して築造された富士塚がある。
寺院の境内にある富士塚は、神仏分離ののちの世では希少な存在かと。

途中の胎内窟。洞窟の奥に木花咲耶姫命の陰刻像を彫った碑がある。洞窟の斜め右上に「小御嶽石尊大権現・大天狗・小天狗」と刻んだ自然石の碑、傍らに小天狗の像を陰刻した石碑がある。
12.04.04.撮影するもよくわからずf(^ω^;
山頂の祠確認。

●仁王像――
金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。
サンスクリットではヴァジュラダラ。開口の阿形像と、口を結んだ吽形像の2体を一対としている。
寺院の表門などに安置することが通例。一般には仁王(におう。二王とも)の名で親しまれている。
原語は「金剛杵(こんごうしょ。仏敵を退散させる武器)を持つもの」。
像容は、上半身裸形、筋骨隆々、阿形像は怒りの表情を顕にし、吽形像は怒りを内に秘めた表情を顕すものがほとんど。この造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ、守護神としての性格ゆえである。
仁王像は安置される場所柄、風雨の害を被りやすく、中世以前の古像で、良い状態で残っているものはほとんどない。
(日本最古のものは法隆寺中門に立つ塑像であるが、後世の補修甚だしく、吽形像の体部はほとんど木造の後補に変わっている。)
(仏堂内部に安置されることもある。奈良 興福寺の仁王像(鎌倉時代造立。国宝)は旧 西金堂堂内に安置されていたもので、当初から堂内用に造られているためか小像。)

東大寺法華堂(三月堂)本尊の背後、厨子内に安置された塑造執金剛神立像(国宝)は、阿形・吽形の一対として造像するのが原則の仁王像を1体のみで表した、執金剛神(しゅこんごうしん)と呼ばれ、形勢や表情は一般の仁王像と似ているが、裸形でなく甲冑を着けているのが特徴。
また、これとは別に一対の仁王像があり、阿形像が「金剛力士」、吽形像が「密迹力士」(みっしゃくりきし)と呼ばれている。これも着甲像。
千手観音が眷属 二十八部衆の中にも仁王像がある。こちらの場合、阿形像は「那羅延堅固王(ならえんけんごおう)」、吽形像は「密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)」と呼ばれる。


●12.04.04.
●17.03.06.

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