甲州廻米置場跡(清水区)
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こうしゅうかいまいおきばあと。
ここは今でも山梨県の所有地だそうです。
寛保元(1741)年、甲州から幕府へ納める年貢米を集めるため、「甲州廻米置場」がこの地に作られました。大回船で江戸へ運ばれ向島へ集められた米の量は、年間9万俵にも達しています。
(→清水みなとナビ)甲州廻米置き場から北側は船溜まりになっていて、その周囲は甲州が土地を買い上げ、倉庫が建てられました。で、今でも山梨県の土地ということになっています。
幕府献上米は、米として輸送する以外に、換金して収めてもいました。その業務は本町の北村家が(恐らく石倉ギャラリーをやってる北村さんでしょうか)仲介業者として一手にさばいていたそうです。ちなみに幕府専用倉庫は清水小学校の場所にあり、それを改築して清水小学校が建てられました。
古のしみず湊の石垣は、釣り船の「ふじや」さんの脇に残っているそうです。当時観光がてら訪れる旅人は、そこから舟に乗り、松井町の三角公園でさらに人を乗せ(そこにも船溜まりがありました)、塚間まで渡したそうです。そこから三保神社を参拝し、三保の松原を見て、久能山まで歩いて泊まるのが当時の定番観光コースだったそうです。(←)
巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1WiPgV9Fgfpjv5vy3v0kilOraqXU&usp=sharing
アルバム: 静岡県3/駿河国2
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